お知らせ・つらつらノート

  1. ホーム
  2. お知らせ・つらつらノート

お知らせ・つらつらノート詳細

2018/07/14
【つらつらノート】 現実からの逃走

                        ☆ 「つらつら」とは、念入りに、つくづく、という意味の言葉です。

 

日頃、わたしたちが、自分たちの置かれている現在の現実から如何に眼を背けるようにして過ごしているか、その事を「どうしようもない」と嘆いていた人物がいます。その人の名は、「人間は考える葦である」という言葉で有名な、パスカルです。


「わたしたちはよく、全くなきにも等しい時の事を夢のように描き、現実に存在するただ一つの今現在の時を、うかうかと見過ごしてしまう。
それというのも、普通、今という現在は、わたしたちを痛めつけることが多いからである。
わたしたちが現在を見まいとするのは、現在の現実というものが、いつもわたしたちを苦しめるからである。
現実の苦しさのために、わたしたちは、まず現在のことなど考えていない(現実のことなど考えたくない)、と言ってよい。
思いのほとんど全てが、過去と未来によって占められている、といっても過言ではない。
過去や現在はわたしたちの手段に過ぎず、未来だけがわたしたちの目的で、考えるのは、いずれ先の未来のことばかり。
現実の問題を常に避けているのであれば、わたしたちは、少しも生きていない、生きているとは言えない。ただ、生きようと望んでいるだけである。
人はつねに未来に生きているのであって、現在には決して生きていない。
いつも幸福になりたいという姿勢だけはあっても、わたしたちがついに幸福になる事ができないのは、どうしようもないことである。」

 

パスカルは早熟の天才と呼ばれ、数学や物理といった分野においても定理の発見などをしていますが、子供の頃から体が弱く、病弱で、40歳という年齢で病死しています。そういう境遇にあったせいか、晩年は宗教 ( 聖書の探求 ) の方面へ没頭していったということで、上記の言葉も、パスカルの死後に本となった 『 パンセ 』 の中の 「 空しさ 」 という章にある言葉の一つです。自分の体の弱さや病気に対する悔しさや不条理感が、彼の人間に対する見方の根底にあったように思われます。

 

気づかされてみると、私の場合も過去や未来の(あまり必要でない)どうでもいい雑念に囚われたり煩わされたりしていることが多く、如何に現在という時間を無駄に過ごしていることか !  という事がわかります。そうは思っても、今現在のこと、現実のことに向き合って真剣に考えようとすると、非常な集中力を必要としなければなりません。
パスカルの、 『人間は考える葦である』  という文章に、「今を生きて真剣に考えることに於いてのみ人間である」という言葉がありますが、どうしようもない事にもめげずに対処してゆこうとする厳しさが窺われます。
自身の病と死を傍らに見つめながら、現実と向き合い真剣に考えて生きることの厳しさを通して、先にある死を祝福しようとしていたのかも知れません。

 

 


PAGE TOP